武器を捨てて命を守れ

反逆児 知己を百年の後に待つ

 水野何某著作集

情報局 の大本営発表のみが国民に知らされた、

 報道管制の下で、故郷の愛媛で71っ際、

 戦中死となって敗戦を見なかった。

 ジャーナリスト 軍備撤廃論者の掘り起しが、

 NHKそのとき で出た。

 第1次世界大戦下、フランスベルダンの50万人の戦死を見、ロンドン空襲にも会った、水野海軍中佐?は、軍国主義思想から180度転向し

 軍備撤廃 戦争回避論者となった。

 帰国報告の海軍大将に、国民を守るとは、戦争を回避することである、』と進言して職を辞した。

 まず、軍備縮小の執筆活動は、時代の海軍力軍備縮小ワシントン条約に合致し、

 次に陸軍縮小となった。

 ロンドン条約

 ところが陸軍は、内閣が条約調印したことを、統帥権のカンパン とイチャ紋をつけ、

 天皇ではない郡のショウコウまでも統帥権代行者となっているかのごとくに、

 軍部独創が始まったと見られる。

 昭和5ねん 満州国成立を容認せざるを得なかった。

 国民は、不興の解決を対外進出満州に託したのである。

 水野はここに米 中 との戦いを予見した。

 やがて、ベルダンの惨禍のごとく東京大空襲が予想できた。

 昭和7年 犬飼首相暗殺 

 昭和16年真珠湾攻撃で太平洋戦争突入。

 水野に憲兵が尾行する日常となっていた。

 言論執筆を禁じられ、演壇に立った水野を右翼が襲撃妨害した。

 右翼とは、軍部支持戦争酸性であった。である。

  軍備撤廃こそが逆に戦争をなくすことになる。

  軍備が、戦争をやることになる。

 水野は、堂語っているか、

 敵が攻めてきたときに必要最小限の軍備を保持しておくことは

 かえって、戦争になるのではないか、

 最初から、撤廃をのみ主張するべきだったのかどっちでも結果は同じ

 日本軍部の即相対性は酒得なかっただろうか。