みこしを靴グ
御輿を担ぐ とは、非常に深いテーマであると思った。
浅草寺 の、示現絵 を通して、
見越し問題が私を捉えた。 :示現会
示現会 は、三社権現が 観音さまとご対面
という、神仏習合のお話になってくるかと思いますが、
一方でこれを担ぐ宮だしの氏子とそこに寄ってくる観客と
飛び入りのとび職のような人とは工作する。
:交錯
けーさつもやってくる。
結論からゆうと、御輿は大きく強く
とび職は屋根に乗り作業をする運動神経を持っているが、
しかしながら、御輿は神野と魚である。
:神の渡御
神渡り が、鬼渡 であるならば、
あるいは、鬼 と言うカンジではなく、
ちょん が無い、カミ という漢字だ。
屋根に乗ってるのは、鳳凰 :鳥という自然が正しく、空を飛ばない人間が乗ることは僭越であり、
神罰として落ちることはやむをえない。
だんじり は、間違っているとして、
この風習習俗を遣唐使、廃止すべし。
また、木曽の 逆落としは
祟りとして志望することはやむなく、
このような、習俗行事を歴史的に遣唐使、
廃止することを議論低唱したいものだ。
ではひとまず。