大阪模擬原爆投下跡地の碑

富山市をはじめとして落とされたパンプキン爆弾は、プルトニウム型原爆ファットマン投下の予行演習だった。

 ウラン型原爆リトルボーイは、量産できず、
 量産できる、また威力もより大きいプルトニウム型が、長崎に被害を齎すことになる。

 広島はウラン型であり、形状で、より安定的に目標に達するのだろうか。

 長距離飛行可能なB29が選ばれていた。

 テニヤンから飛び立ったのか。

参考NHKその時
アメリカ極秘資料)
 模擬原爆であることは隊員に知らされてはいなかった。士気を高めたと言う。

 トルーマンは軍の投下命令を承認した。

ソ連参戦に先駆けようとし、また、2発目は、天気予報により、2日早められた。

 その後、8.14までパンプキンはテスト投下され、通常兵器として効果が少ないと判断され、

 残余40数発がテニヤン島で海に沈められた。