持統天皇の業績
もうトウニ舞台から去ったが、作品と伝説の中に生きている、山口小夜子 寺山修司の二氏それぞれのインタヴュー番組がダイジェスト版?でNHKで再放送された。
山口は、校庭に白線を引いてみたいといい、それは純粋な天にも昇るようなものである。腺は国境や一般の境界として争いの元になるものだ。しかるにそうではない、たぶんそうか、自分と言う清明のような、他者としての生命の軌跡としての連続して延びるものではないかと思える。
寺山は、疎外された、世の中からはみ出た人に興味を持ったという。
一寸法師の話は、普通の人になってめでたしとなるが、巨人であったり、皆それぞれのままで価値があるならば、無理に基準を作る必要が無い。
そういう高校は、ダイケン高校しかなかったし、まだまだ、高等学校創業程度認定試験が可能性を指差していると思われる。
さて、持統天皇は、天智(てんじ)天皇の娘であり、
天武(てんむ)天皇軒先であり、
天武後の天皇となった。
その名も藤原京に腺とした。
藤原不比等は日本書紀を編纂し完成は、持統天皇が舞台から差って後であった。
持統天皇期において、神祇面で大きな変革確立があり、
伊勢神宮が出来た。(出来たか、内宮 外宮の整備であったか)
参考:
エミシの国の女神(菊池展明 著)
国体とは、縄文にあるのか、このような、古代律令国家の確立にあるのか、
少なくも、明治維新とは、古代律令制を理想とした、平田篤胤の国学が水戸学に採用されていったのか、私の把握するところになっていないことをお断りする。