立ち木の姿勢

やや中腰ながら、正座する少年を見たと思った。
 立膝と言うよりは、少し浮いた感じの正座だった。
 古代ぺルシャンマーケットにも似た、いやそれよりも街を形成した、アメ横上野を数段大きくしたような、多分トルコの映像であろうか、

 布地の切れ端を天井から吊るした店内は土足ではなく、床の上に着切れを広げて吟味している。

 その中に、NHKTVを視ていた山田新次郎は、正座を見たのだ。

 両側に店舗が並ぶ狭い通路を、人並みと自転車と二人乗りなどの単車が通り過ぎる。

 西欧化とムスリムの伝統を残した、融合の風景は、特にヴェールを脱いだ婦人たちに象徴されている。

 そこはトルコとしても、椅子とテーブルで生活するのではない、床上の、地上の暮らし方が、広く中東にもあったと思ってみると、日に3度の礼拝が、正座を伴う、あるいは、立膝での額の頭突きにも似た姿であろう、

 インドもまた床上の暮らしがあったであろうか、

 ヨガは、正座のポーズを保有するものに違いない、

 彼はそう思うのだった。

 日本人の正座とは、ルーツがあるのだろうか、そう考えるべきなのかと言う視点である。


 さて、彼は、突然に喬木と言う言葉を思い起こし、それは潅木のハンタイゴと知った。

 タイ語だったのか、チョコには、へなチョコもあるものよな、

 見た目が悪くてもいいじゃないか、野菜は形ではなく、虫食いレスでもない、レタスはレタスだ、

 山田はそういう人であ露うか、

 小さいことに子だランダム

 として、

 ポプラは喬木なら、楢も相談だ、

 蜜柑の肝、茶のの樹も見てはいないのだが、そりゃ潅木ではないかとやまだなにがしんじろうは、ひどくわからなかった。

 野菜だ、vegetable はtable

は無い、

 grass に含まれはしないのかどうか、

 新次郎はこの2単語をまた、

 fruit との3語鼎立のうちに捉えてみたいと考えた。

 大麦若葉 いわゆる青汁が、野菜ジュース、フルーツジュースよりも簡便に食生活に資すると、いうわけだが、または、

 市販飲料として1ダースごとに買い込んでおくこともがそれ以上の簡易な奉仕になると見えた。

 聖戦野菜は、防空壕などの中で保存上通用しないのであった。

Look Tree 続々?・Grassism

Poplar:
http://www.youtube.com/watch?v=amjW3rV3mfg