惜しい なに

明治34年成立(作詞・作曲)から流布したわけである。

 犬四郎の叔父が美声の人として、是非音楽学校にとの村人の感嘆が在ったと言う。しかし、祖父は芸能を認めず、仙台陸軍幼年学校に送り、軍人として大陸に戦死する。
 叔父も荒城の月を歌ったはずであることは、間違いがない。 
 
http://www.youtube.com/watch?v=0NUbGtPQmlU

詩は、東京音楽学校土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。原題は『荒城月』である。詩集への収録はない。

春高楼(かうろう・こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い) でし 昔の光今いづこ
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし 昔の光今いづこ
今荒城の夜半(よは・よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌ふ(うとう)はただ嵐
天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月
大変美しい起承転結の構成である。
(参考 wikipe.)