滝廉太郎のドイツ留学

 1900年中学唱歌荒城の月を打ち出したが、

1901年21歳ドイツに留学するも、肺結核となり1年で帰国。

 この年、はとぽっぽ を作詞作曲。


 荒城の月原曲が、ベルギーで協会の成果:教会聖歌になったという。

 そこで、どうも、半音下がったものが、原曲であり、巣子ーぴおん図:ロックグループの演奏が、原曲だったという逆転の発想になってくる。


  山田交差区の編曲が日本国内で広まり、学校ではこっちになったが、

 尚クラシック界では原曲の半音下げが謳われることが有ると思われる、

  幸田はしゃんとおもった。そう考えたのである。

 行き逢ったりばったりばったり学問の勧め。

 というのは、山田耕作の荒城の月を聞くと半音下がっていなかったものですからね、と巧打はしゃんとした。
 *(ドイツ)**(日本)*