風力発電高校

司馬遼太郎氏が、偏差値教育の非を指摘されていた。
 小室直樹氏も、偏差値教育で造られた官僚国家が、
マニュアルにない国難にぶつかったときにどう対処できるものだろうか、
 と危惧されていた。現実に現今、未曾有の天災と国際問題に
遭遇して、我々は、ここでしっかりとした道を選んでいかなければ
 ならないし、また、うまく歩めば、繁栄と平和はもたらされる。
希望があるのである。
 たとえば、電力は風力だと、アメリカ人が言っている。
 ヨーロッパがリードしてきたが、90m級のタワーを建てまくり
 ハイブリッドカーから始めれば良いと言っている。
 2005年から、大検は高卒程度認定試験(高験)になります。
今度は、高校在学でも受験でき、単位の補充にも使えるので、
 青春にとってより普遍的な制度になる。身近なものです。
大検は、偏差値教育側のセキュリティーホール、良く言えば唯一の
 光であったのです。今、靖国というセキュリティホール
鋭く切り込んできている中国人民です。
 この靖国問題は、
 形をもう一度立て直すことがありうるものかどうか。
 歴史教育にしても、文部省検定がどうのと、
国民が教科書を作ったとはいえません。大検もいわば、
 文部省の見解であったわけです。我々は、大検問題を国民の教養とし
アイデンティティ形成のよりどころとすべきであったと思います。
 でなければ、学校に行く必要はない。学科授業と試験は
不要の話になるのです。学校で、やることは、体育と軍事訓練でよいことになる。
 だから、我々は、高験の内容を注視し、創造する立場にあるのです。
 何が必要で、何は不要化、何を用意すべきか。学校は飾りではありません。
真に青春と国家社会のためにあったのです。
 そうして、それができていたとはいえない。
 欠点がなかったと言い切れるであろうか。
 ただいまの需要と恐恐に対応できているだろうか。
 いつも遅れてしまうのではないのか。

 いっそ学校に行かなくても、高験があるさ、大学と社会は
そのあとから付いてくる。いや、学校の替わりに選ぶこともできよう。
 文部省の教育指導要領に合わせて、養成・要請された学校教師が一番最低
 の教師なのだ、これは、わしが言ったのではないです、
 小林義則が結ったのでもない、羽仁五郎という戦後、
 国会図書館を作った男です。

 さて、学校がどう動いていくかは、それはそれ、
 まあ古本屋と大検塾を経営するまで、まだ10年早いオレです。
 天忠組の調査と研究も、マイナーな人に光が当たってきましたねえ。
  ぼくも、近世の東海道53次は面白いものだと思うのです。
 多様な姿の全体を浮き出させれ場、宵のではないでしょうか。笑
 無論、歴史が動くときは、主要なものとそうでないものはあるのでしょう。
  イラクも、直接民主主義のスローガンは、立てられなかったのか、
 燃焼するとすれば、このスローガンしかないんじゃないかと思ったのですが、神も
 足下ら先が、どうやるかも難しいのでしょうか。書誌の文典にも見えないでしょうな。 
 イラクは、行かないほうが良かったと言うこともあるので、
 直接民主までも話は進めません。しかし、こうなったらこうしようかなと。
 ここでどうなってどうなるかですからね。辞極論でした。