編集と日本

 遊 とは、旗を翳して進みいく自由の述べであると言う。

 この白川 遊字篇 が、雑誌 遊 の原点だったようだ。

 漢字は国字である。

 いわゆる国字とは、裃 など、

 日本で作られた、漢字ではない漢字である。

 鰯など 、中国に逆輸入された国字漢字もあるが、それはさておき、

 国字はそのようなメイドインジャパンなる全体を意味してよい。

 漢字が弥生文化として日本に来たとき、

 そこに編集作業が起こった。

 なんと、漢字という意味があるものを

 発音記号として使ったのである。

 万葉集はのみならず、和語の発音で

 和語を意味する漢字を持ってきているので、、どこがどうなってるか、

 読みにくいけど、そういうことなのだ。

 それからなんと、、書道の階は中国であり、
 行 草 とは、日本なのであったの図ら。

 (ずらー :山梨語)

 その草書の一部から、平仮名に発展したのである。その文化を女手と言う。

 ここに、在原業平は官僚でありながら、

 漢字ではない平仮名交じりでその文化革命を始めたのである。あ違うな

 土佐日記は、紀貫之で内科医。

 後年、漢字に固執する菅原道真

  古今集編纂の悶着から、遣唐使廃止となって、

  菅原道真は天神となる。

 お茶もまた、中国が階であり、日本の

 ワビチャ 草庵 となっていく。

 日本的な編集と言う手法が、国字化への時代から日本文化の基層として始まっていた。

 歌舞伎 伎楽は、あったから、其処から来てるのだろうし

  起源的にはすべて、中国、朝鮮経由である。

 白川は遊、

 漢字文化を復興するならば、漢字文化圏という芦阿の(アジアの)広域連帯を形成できるであろう。

 ハングル 等、漢字から出来たのではない。唯一、漢字を保存したのは、長期的には江戸時代までの日本だった。

 明治以降、漢字の低下と戦後の当用漢字主義、など、漢字の本来の実力が損なわれた。

 漢字は神との交流であったことを忘れる出ないぞこれ、

 と、最晩年の80歳代6年間、講演をしていたのである。96歳ボツ。

 (参考 NHK 松岡正剛の白川遊学)

 漢字ルビ とは、日本独自の文化として

 子供世界の漢字への親しみを誘導した。