塩と水滸伝

唐帝国節度使の中から宋が建ったか知らないが、(五胡16国は隋唐以前)

 北宋最後の皇帝欽は九代 八代徽宗?の時、宗江と言う反体制指導者が氾濫の江南、揚子江で無く黄河のほとりデルタに梁山泊がある。

 ここに立てこもって経済力をつけて先頭に及んだのではないか、

 その経済力は、潮の闇ルートを開発したのであったとは、資料を読み解いて気が付いたという。

 そして、北方謙三氏は「水滸伝」うぃ書いた。:NHK出演

 製塩はどこにあったのか、岩塩を持ってきたと考えられる。

 中央アジアであろうか。

 では、読んでみよう。

 そうこう は遂に敗れ、のち将軍になったが、官吏の陰謀で死んだとされるかどうか。

 それはないかもしれない。

 きそう は、金に捉えられ、南宋が起こる。靖康の変。