病波気から なぬ

過敏性腸症候群

 老後ストレス:経済 兄弟の死 ほか


 参考NHK ゆうどきネット


 適度な運動は、腰掛けて足踏み・腕不利



 最後は便秘で死んだのか、骨粗鬆は骨折したか、その朝の状態は判らない。



  一応、問いただしてみようと長男篠原甚太郎は思っていた。


 さて、王選手の回想録は、40歳引退は早かったとし、43までは打てたろうとする。調整が出来ていなかったので、某投手が速い球を投げるのに敗れた。


 アーロンのホームラン記録を破ってから、何かと引っ張り出され、野球への集中力が崩れた。


 最後の年はホームラン30本のホームら脳となって引退した。


 その時に、野球を離れ、客観的にスタンドから見る立場に経ちたかった。



 しかし、助監督に懇請され、3年、藤田監督の下でチームに貢献したが、なんら学ぶところが無かった。


 次に、長島監督になったファ、ドラフト清華、際立ったチーム作りを困難にしたが


 派手な勝ち方を嗜好する長島野球が、結果を齎さず、勝てない巨人軍は、かって当たり前の大ストレスとなって、胃潰瘍の王が助監督のままできてしまった。



 バッターボックスで歯がぼろぼろにかみ締められていたが、


 胃潰瘍はストレスだったのでしょう。


 後年、長島監督脳梗塞に倒れ、オリンピック出場を交替する辞退になった。


 すぽーつもまた、精神化された活動に在り、


 身体に悪いのがスポーツである、と健二郎は思ったか考えたのだった。

 いや、仕事が悪いと言うべきなのかもしれなかった。
 

荒城の月のメロディーがでてきます:

 http://www.youtube.com/watch?v=GMUlhuTkM3w&feature=related