兄弟無念

外山健二郎の兄健一郎は、町の中学校から高校進学で、どこの航行にも合格できない怒ろうと教師が言い、


 地元を受験せず東京を受験したが当然東京の方が難しかったのかもしれない。


 東京でも最低の点数といわれた棒私立高校に多額の寄付金を投入して入学できたものの、また校内で成績が悪く新旧にも鉦を積んでいった塔である。


  親の方針が失敗していた。


 健二郎は、兄とは逆にトップの成績であり、


  しかし、従兄弟のススメで東京の中学に尿学する嵌めになったのである。


 それも、健一郎が上京した結果引きずられたといえる。


  健一郎について考える時に、健二郎が思い至るのは、


 高校には入れなければ入れないで、じっくりと生きれば良い。

 家の手伝いは幾らもあったのであり、営業と家事の掃除ぐらいは当然出来たろう。


 これは大きな可能性を漏った進路だったのであり、むしろ漫然と高校に要ったからといって良いことは何もない。

 厳しい生活で鍛えるには、学校は生ぬるい。